COMPANY企業情報
会社概要
所在地 |
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設立 | 1974年1月18日(昭和49年) |
役員 |
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事業内容 | 法人の経営課題に応えるサービス・商品をインテグレートし、販売・構築・保守サポートを行う |
資本金 | 9,000万円 |
売上高 | 121億 |
従業員数 | 400名 |
営業年度 及び決算日 |
決算期 12月 |
主要銀行 | みずほ銀行・三井住友銀行・三菱UFJ銀行・池田泉州銀行・りそな銀行・商工組合中央金庫 |
関連会社 | エイコーエコスパ株式会社 エイコーエナジオ株式会社 エイコーグループホールディングス株式会社 株式会社エイコー桐生 株式会社エイコーメディアス 那須塩原アグリソーラー合同会社 |
許認可 【建設業許可】 |
許可番号:国土交通大臣許可(特-3)第26413号 土木工事業/建築工事業/大工工事業/左官工事業/とび・土木工事業/石工事業/屋根工事業/電気工事業/管工事業/タイル・れんが・ブロック工事業/鋼構造物工事業/鉄筋工事業/舗装工事業/しゆんせつ工事業/板金工事業/ガラス工事業/塗装工事業/防水工事業/内装仕上工事業/機械器具設置工事業/熱絶縁工事業/電気通信工事業/建具工事業/水道施設工事業/解体工事業 |
【届出】 |
総務省:電気通信事業者届出 届出番号 第E-28-04016号 総務省:販売代理店届出制度 届出番号 G2014125 |
沿革
1972-1980創業期
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1972年 エイコーグループホールディングス会長・山田五十一が株式会社エイコーを創業
札幌で冬季オリンピックが開催されて間もない1972年3月、日本の高度成長期が終焉を迎えたこのころ、大阪門真市に当社は産声をあげた。創業者・山田五十一が「顧客創り・人創り・幸せ創り」という経営理念を掲げ、万感の思いを込めて、高らかにエイコーの看板をあげたその瞬間だ。
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コピー機の販売開始
大阪近郊の開発が益々盛んになってきたことに合わせ、不動産業界を始めとした事業所が次々と増えていった時代、それはコピー機の販売からスタートした当社にとって、強い追い風だった。少しずつ社員が増え、本社を移転させていきながら、国産コピー機の売り込みを強化していった。怒涛の創業期からおよそ10年。いよいよ時代は80年代を迎え、これまでのコピー機一本の事業体でなく、新しい商品や違う業態の模索が徐々に始まっていた。
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1980年 ファクシミリ販売開始
世にファクシミリという画期的な商品が出現した。企業や商店で、急ぎの書類のやり取りに重宝され、これまで電話で多かった言い間違えや聞き間違えのトラブルを無くすこの商品は、高額にも関わらず飛ぶように売れた。これが大きな契機となり、ファクシミリを重点商品として拡売する戦略を取った当社は、この後飛躍的に成長拡大を遂げることとなる。
1981-2000成長期
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システムサービス提供開始
1980年代に入り、オフィス業務の生産性向上に情報機器を利用すべきだといういわゆるOA(Office Automation)の概念が広まり、オフィスコンピューター(通称オフコン)や、その後にはパソコンといった機器がビジネスで広く利用されるようになった。
これまでオフィス機器を中心に事業展開してきた当社が、初めて多角的に事業の幅を広げシステムという新しい武器を手に入れたことは、当社を世に認知してもらうことへの大きなチャンスとなった。 -
1983年 東京進出
事業の拡大とともに、お取引をするお客様が急激に増えてきたのがこの頃。当社の今の強みが、世の中でどれだけ通用するのか。それを試す場所が東京だった。東京には、圧倒的に多くの企業があり、新しいお客様に認められるということは、さらなる当社の発展に繋がることに間違いない。東京に進出するにあたって、多くの人材が必要になる。環境も整備しなければならない。会社の希望は今以上に大きくなり、お客様とのつながりもより広くなっていくだろう。そんな様々な思いを胸に、この大きな東京で私たちは次の飛躍のステージを迎えることになる。
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1984年 名古屋支店開設
東京への進出から時を待たずして、いわゆる東名阪をつなぐ重要拠点として次に名前があがったのは名古屋だった。地場に根差したきめの細かい営業活動をしていくことを目標に、全支店の頂点に立つという大きな夢を掲げて開設された。そして、ちょうどこの頃から90年代にかけて、特に東日本を中心に続々と拠点が増え続け、関西から名古屋、そして関東圏一体に及ぶ東名阪の営業およびサービス体制が確立されていった。
2001-2010変革期
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環境事業開始
2000年を前後として、社会にある様々な課題、そしてお客様のニーズは時代を追うごとにどんどん多様化の道をたどる。その中でもエネルギーの問題は避けては通ることができない。当社は、この大きな問題に果敢に挑戦していった。新しい考え方やこれまで取り組んでいなかったことを柔軟に取り入れ、社外と社内に変革を起こしていく試みを行った。
エコに関する商材を事業の中に積極的に取り入れ、省エネにつながる照明商材を新しい柱に据えたのもこの時だ。限りある資源を目の前にして、なんとしても取り組まなければいけないというお客様への強い思いをミッションとして、新しい事業が開始された。 -
2004年 現大阪本社ビルへ移転
大阪は中央区南船場。昔から天下の台所と言われ、伝統と歴史あるこの界隈の中心部に2004年、当社は西日本の本丸を移した。交通の便よく、物が集まり、そしてヒトが集まるこの土地は、真に当社にふさわしい新拠点。
オフィス街の一角に自社ビルとして緑の映えるこの拠点から、トータルソリューションプロバイダーという名のもとに、お客様のさまざまな課題を解決する商社として、これより当社は思いを力強く発信していく会社となっていく。
2011-2017発展期
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2012年 福岡支店開設
九州一円の重要拠点として、福岡市中央区に福岡支店を起ち上げ、OA機器および環境商材の展開を主軸として事業運営をスタートさせた。地域との関係性を強固にすることを主眼に置き、これまで創業以来、長年にわたって培ってきたノウハウと、お客様の課題解決を目指したソリューション提案で、他社を一歩も二歩もリードできる支店体制を構築した。
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太陽光発電事業への参入
2012年、再生可能エネルギーに関するわが国の買取り制度の開始に先立ち、余剰となった土地等を活用してメガソーラーを建設し、売電事業として取り組みを行う多くの企業を目にするようになった。当社は、福岡県みやま市に建設された23メガワットのソーラーファームの中で、全体の約1/10に相当する2.2メガワットの発電施設を所有。創エネルギーの提案者として設計・施工・資材調達支援を行える一方で、そのメンテナンスまでも手掛けることができる等、一貫してサポートできる体制を整えた。
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創業45周年 ハワイ社員旅行
社員はすでに350人を超えた。2016年の年はじめ「みんなで頑張ってハワイに行こう」そう掲げた旗印。高い目標が各事業所、各拠点に設定され、全社員が一丸となってその目標に立ち向かい、1年間お客様と向き合った。
それから1年半後、エイコーの社員はホノルルの砂浜にあるパーティ会場で笑顔になっていた。当社の原動力は「人」。社員同志が肩を寄せ合うことは、必ずお客様の笑顔につながる。創業の45周年の重みを感じ、社員旅行でのひと時を噛みしめながら「さあ、明日からもまた、頑張ろう。」
2018-
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創業理念を礎に、そして新しい企業価値でお客様と強いパートナーシップを築く
2018年3月、当時の代表・山田五十一は株式会社エイコーの社長職を退任、
新しく代表取締役社長に山田一太朗が就任した。
翌2019年1月の経営方針発表会の席で山田一太朗から、お客様と永続的にお付き合いをしていくために、当社が一層の企業価値を高め、今後もお客様さまとより強いパートナーシップを築いていく事業方針が発信され、来るべき創業50周年へ向けて、全社員が働き方を見つめ直し変革を加速させることを共有し合った。
取り組み(働き方改革とSDGs)